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September 2001

2001.09.20

花とともに

私はコンガというタイコを習っています。そこであるアフリカ人からアフリカンチャリティーダンスパーティー(PESA LOBOKO)のチラシをもらいました。そこにはこんな事が書いてありました。
「僕たちの愛国!コンゴ共和国(元ザイール共和国)は、32年間のモブツ独裁政権の中だった。才能ある人達は、芽を出せるチャンスを求めて海外へ逃げ出した。1997年、反政府軍が首都キンシャサに攻めてきた。しかし、戦争にはならなかった。街人が反政府軍に武器を渡し、花束で出迎えたからだ!奇跡のような出来事だった。」
この世界には実にたくさんの争い事があります。戦争のような大きなものだけではなく、皆さんの身の回りにも争い事はあると思います。そのきっかけは最初は小さいものだったりしますが、だんだんと大きくなって取り返しのつかないところへと行ってしまいます。そろそろそうした事をやめる時期なんじゃないかと、私は思います。事が大きくなる前に、どこかで自分自身に気づき、その争いの輪から抜けるということです。
そうした輪の中にいるとき、人は怒りや悲しみや、たくさんの感情を味わうでしょう。それは感情のレッスンであり、確かにある程度は必要なのかもしれません。でも、いつまでもそうした事を続ける必要はないのです。感情とは外部からのアクションに対して出てくる心の癖であり、その人の本質とはあまり関係のないものです。感情はいつまでも持ちつづけるのではなく、どんどん手放していけばいいのです。
コンガでは花束が人々に勝利をもたらしました。勝利とは、敵を倒したという事ではなく、自ら争いの輪から抜け出たと言う事です。武器を持った人に花束をわたすわけですから、かなりの勇気が必要だったと思います。でも可能だったのです。大切なのは、争いの輪から抜け出るためには特別な力は必要ないということです。私には無理だと思う必要な全くありません。全ての人に可能な事です。
世界に花が咲き乱れる日を、私は願っています。

2001.09.19

流れを断ち切る

アメリカでテロが発生して1週間たちました。現在は、アメリカの報復はいつ、どのような形で行われるのかという事態になっています。「やられたらやり返す」ということです。世界的な経済の象徴であるビルが崩壊して、たくさんの人が亡くなっているわけですから、そうした気持ちを持つ事はわかります。しかし報復をした場合、またたくさんの犠牲者が出る事でしょうし、報復の報復もあることでしょう。人がなくなるだけでなく、自然環境も大きく破壊されることでしょう。自分の兵士が1人殺されたから新しく5人補強したと言う話も聞こえてきますから、正にカルマの5倍返し(7倍だったかな?)の状態です。
この流れはいつまで続くのでしょうか。そして、何を生み出すのでしょうか。
先日、世界的な霊的教師であるボブ・フィックスのワークショップに行ってきました。放たれた矢に対しやり返すのではなくどこかで止めないといけない、でないとカルマはどんどん膨れ上がると彼は言っていました。
原因はどこにあるとか、歴史的背景とか、すでにあまり意味のないものになっているように感じます。それよりもどこかでこの流れを止める必要があります。そのための行動をしていかないと事態はどんどん悪いほうへ進んでしまいます。何年も続くかもしれない戦いへ進んでいくのか。それとも平和的な解決をして次のステップへ進むのか。
経済の象徴とされるビルが崩れ落ち、株も世界的に下がっています。有事の際にもかかわらず、ドルもあまり信用されていないようです。こうした事は何を意味するでしょうか。経済とは何でしょうか。お金とは何でしょうか。現在のこうしたアンバランスなシステムが総入れ替えになったらどうでしょうか。霊的な視点で世界を見てください。
私のところへも各方面から、祈りを捧げようというメールや、軍事行動を食い止めようと言う嘆願書をだそうというメールが来ています。皆さんも出来る事はやってみてください。軍事行動ではなく、カルマの波に飲み込まれるのではなく、宇宙の流れに沿った、あるべき方向へ進むために、明るい未来のビジョンをしっかり持ってください。

2001.09.12

人類の選択

ご存知の通り、アメリカでテロが起きました。今までになく、とても大きな出来事です。この影響はどこまで広がるでしょうか。そして、今後世界はどのようになっていくでしょうか。
東西の冷戦が崩壊したと言われてずいぶんたちますが、その後、残念ながら世界は平和とはいえない状況です。各地で民族紛争、戦争があり、しかも増えつつあります。各国で軍事費は増えていき、軍事演習も国を超えて盛んです。どこかに敵を見つけないと安心しないのかもしれません。しかしこうした状況はどこかで終わりにしなければならなかったはずです。
7月にロッキーマウンテン・ミステリースクールのローリーさんによる大天使メタトロンのチャネリングセミナーに出席したときに、これから世界がどうなっていくかと言う話がありました。詳細は省きますが、正にその可能性の一つが今始まったと感じています。

私たちは人類として何を選択すべきなのでしょうか。

残念ながら現在は光よりも闇が勝っている状態です。言葉の壁、地域の壁、経済の壁、、、世の中が光で満たされるには、世の中を分断している様々な壁が取り除かれなければなりません。そして取り除いていかなければならなかったはずです。今回の事件をきっかけに、「良い意味で」国を超えて協力できる方向へ向かえるように、そして分断している壁が取り除かれる方向へ向かうように願っています。
皆さんも、これから訪れるべき世界とはどういうところか考えてください。混乱が収まり、壁が取り除かれた世界をイメージしてみてください。
世界へ光を送ります。

 

2001.09.11

出会い

出会いは偶然でしょうか、それとも必然でしょうか。ちょっとした出会いがその後の人生を変えるという事があります。そうした出会いは、皆さんにはありましたか?
自分はどうして今ここにいるのか考えた事がありますか。ここにいる前はどこにいたか、ちょっとづつ戻っていってみてください。○×星から転生してきた、、、いえいえ、そんな事を言っているんではないです。案外忘れがちですが、私たちは親から生まれています。親同士はどうやって出会ったのでしょうか?もしかするとほんの一瞬の出会いだったかもしれません。よかったら聞いてみてください。その出会いがなかったら、今この瞬間にあなたはこの世界に存在していないと言う事になります。
皆さんにパートナーはいますか?どうやって出会ったのでしょうか。あれがなかったら出会う事はなかったとか、付き合う事はなかったとか、多分そうした事があると思います。と同時に、どうやっても絶対に出会うはずだったと確信があるかもしれません。どちらにしろ素晴らしい事です。そうした出会いが次の世代を作っていきます。(必ずしも子供を産みましょうということではないですよ。)
今現在、私は独身です。実は、お見合いを何度かしたことがあります。「あなたは一人じゃないほうがいいでしょう」って、いろいろな人が世話をしてくれます。私は頼りないように見られているのかとな思って聞いてみると、パートナーがいたほうがより良いということらしいです。そうかもしれないと思いつつ、また、面白い話には乗ってみようということで、何度かお見合いをしました。が、どういうわけかまだ独身です(笑)。なかなか上手くいかないものですね。でも、もうすぐ決まるような予感もあります。(強がりではありませんよ(笑)。)
世の中にはいろいろな出会いがあります。それにはもしかするといろいろな意味があるのかもしれません。好きな人がいたり、嫌いな人がいたりすると思います。あんな人と出会わないほうが良かったと思うときもあるかもしれません。視野が広がったり、反面教師だってり、、、どんなものであれ、それは自分に与えられたプレゼントのように、私は思います。
たまには出会いを振り返ると言うのもいいものです。

2001.09.04

信じる・信じない

昔から言われている「あなたは神を信じますか」という台詞があります。実は私には「信じる」という言葉にとても違和感があります。それは神だけでなく、何事に対してもです。
神だけではなく、何事も「見たら信じる」と多くの人は言います。しかし実際に見たとしても信じる人は少ないです。例えば目の前に神が現れたら目の錯覚だと言うでしょうし、宇宙人がやってきても幻覚だったと言うでしょう。それはもしかしたら、ちゃんと見ていないと言う事かもしれませんけど。
人が「信じる」と言うのは、ほとんどの場合、本に書いてあっとか、権威のある人や好きな人が言ったらから信じています。そこには確認すると言う作業がありません。情報を見ているのであって、事実を見ているわけでもありません。当然ながら、全てを確認する事は不可能です。しかし、まるっきり鵜呑みにするものどうかと思います。しかも、情報が変わっただけで「信じる」から「信じない」に変わったりします。目の前の出来事はちっとも変わっていないのにです。「信じる」も「信じない」も結局は同じようなものなわけです。
信じるとは、疑いなく本当だと思い込むことです。盲信とは、わけ分からず信じる事です。それはどちらも「知っている」かどうかと言う事とはあまり関係がないようです。
知っていれば、信じると言う事は必要なくなります。これはこういうことだよ、ただそれだけです。大根を見て、私は大根だと信じる!というのは変な言い方ですね。それは大根です、と言うだけです。私の場合は、イロイロな事をこの知っていると言う感覚でとらえています。
ですから、私は神を「知っている」という感覚でとらえています。信じる、盲信する対象ではないのです。昔ながらの人は「信じる」のかもしれません。しかも条件付で。幸せになるため、お金持ちになるため、健康になるため、、、。それはそれでいいでしょうね。そうしてきたんだから。そうした考え方を変える必要はないでしょう。ただ、若い人たちはどうでしょうか。内なる神という言い方があります。神と同じエネルギーという見方もあります。信じる以前に、ずーっと前からすでに知っているのかもしれません。
皆さんは、どういった感覚で物事を見ていますか?

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